
期待と現実の解離
エドガー・ライト監督、グレン・パウエル主演。この布陣でスティーヴン・キングの原作(リチャード・バックマン名義)を再映画化すると聞いた時、多くの映画ファンは「今度こそ」と期待を寄せたはずだ。1987年のアーノルド・シュワルツェネッガー主演版は、原作の持つ重厚な社会批判をかなぐり捨て、筋肉と爆発のエンターテインメントへと振り切った作品だった。対して新作は、より原作に近いディストピア(暗黒郷)を描くとされていた。
しかし、実際に劇場に足を運んで得られた感想は、「まあまあの退屈具合」という一言に尽きる。
エドガー・ライトらしい選曲のセンスは健在であり、サウンドトラック自体は耳に心地よい。しかし、映画そのものに面白みがあるかと言われれば、首を傾げざるを得ない。スタイリッシュな映像と真面目な社会派のトーンが、アクション映画としてのカタルシスを希釈してしまっているのだ。
リメイクという名の「脱毒化」
シュワルツェネッガー作品のリメイクが失敗するのは、今回が初めてではない。2012年の『トータル・リコール』もそうだった。ポール・バーホーベンによる1990年版は、悪趣味なまでのクリーチャー造形、過剰なバイオレンス、そして火星という閉鎖空間における混沌としたエネルギーに満ちていた。リメイク版は映像こそ洗練されていたが、バーホーベンが持っていた「毒気」は丁寧に濾過され、どこにでもあるSFアクションへと変貌していた。
さらに記憶に新しいのが、『ターミネーター:ニュー・フェイト』だ。ジェームズ・キャメロンが製作に戻り、正統な続編を謳いながら、その内容は過去の遺産を食いつぶす「ズンドコ」な展開に終始した。冒頭で過去作の意義を否定するような脚本の選択は、ファンの心を離れさせるには十分すぎた。
なぜ、これほどまでにシュワルツェネッガー関連の再生産は上手くいかないのか。そこにはいくつかの構造的な問題がある。
「シュワルツェネッガー」という固有ジャンルの消失
最大の問題は、アーノルド・シュワルツェネッガーという俳優が、単なる役者を超えた「一つのジャンル」であったことだ。彼の全盛期の作品群は、緻密な脚本や整合性を楽しむものではなく、「シュワルツェネッガーという圧倒的な肉体が、不可能を可能にする」その様を、観客がプロレスを観るような高揚感で楽しむものだった。
現代のリメイク作品で、グレン・パウエルやコリン・ファレルのような「演技のうまい、スタイルの良い俳優」が同じ役を演じても、そこに宿るはずの「神話性」が生まれない。彼らが真面目に演じれば演じるほど、B級映画的な設定の甘さやツッコミどころが浮き彫りになり、結果として「退屈」や「面白みのなさ」に繋がってしまうのだ。
80年代という時代の特異性
80年代から90年代初頭にかけてのアクション映画には、ある種の「過剰さ」が許容される空気があった。レーティングを恐れない露悪的な描写、政治的正しさ(ポリコレ)を無視したキャラクター造形。それらは現代の価値観から見れば眉をひそめるものかもしれないが、映画としての「強度」を生んでいたことは否定できない。
現代のリメイクは、良くも悪くも「優等生」すぎるのだ。映像は綺麗だが、泥臭い死闘がない。社会批判は盛り込むが、突き抜けたユーモアがない。エドガー・ライト版『ランニング・マン』に感じた物足りなさの正体は、こうした現代的な「抑制」にあるのではないか。
演出と内容のアンバランス
エドガー・ライトが監督したことで、皮肉にも音楽と映像のキレだけが浮いてしまった感は否めない。映画において音楽はあくまで物語の感情を増幅させる装置であるが、物語そのものが停滞している場合、音楽だけが空回りしているように聞こえてしまう。
逃走劇としての緊迫感よりも、設定の解説や格差社会への暗い視線が勝ってしまい、エンターテインメントとしてのリズムが損なわれている。133分という上映時間の中で、観客が期待したのは「知的な逃走劇」ではなく、もっと本能に訴えかける「興奮」だったはずだ。
「28年後...」への懸念と期待
シュワルツェネッガー作品の例を引くまでもなく、過去の名作の看板を借りた作品は、常に「過去との比較」という宿命を背負わされる。リメイクではなく、正統な系譜を継ぐダニー・ボイル監督の『28年後...』のようなプロジェクトにはまだ期待の余地があるが、今回の『ランニング・マン』を観る限り、安易なリブート(再始動)が成功する確率は極めて低いと言わざるを得ない。
映画館で時間を過ごすことは、ある種のギャンブルだ。今回は「まあまあの退屈」という結果に終わったが、この徒労感もまた、映画ファンの日常である。シュワルツェネッガーという巨像の影を追い続けるのをやめた時、ようやく新しいアクション映画の形が見えてくるのかもしれない。
結論
『ランニング・マン』のリメイクは、現代の技術と才能をもってしても、80年代の筋肉映画が持っていた「歪な熱量」を超えることはできなかった。サントラを聴きながら、かつてシュワルツェネッガーが刺客をなぎ倒していた頃の、あの無茶苦茶で楽しい映画体験を懐かしむ。それが、今回の鑑賞で得られた唯一の収穫だったのかもしれない。
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